軽井沢におけるヴォーリズ

来日以来、ヴォーリズが度々訪れていた軽井沢には、多くのヴォーリズ建築が残っています。彼にとって、日本では近江八幡に次ぐ第二の故郷と言える軽井沢での生活の様子、自然と共存する軽井沢のヴォーリズ建築を紹介します。

 
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軽井沢に現存する鈴木歯科夏季診療所

 

軽井沢

ヴォーリズは、日露戦争最中の1905年に来日し、近江八幡に着任した最初の夏を軽井沢で過ごしました。若くして異国の地に来た彼にとって、ここで同じクリスチャン仲間の宣教師たちと出会えたことは、心強かったことでしょう。満喜子夫人とのハネムーンも軽井沢でした。
また、軽井沢には、夫妻の別荘(1920年)、ヴォーリズの実母が住んだ現浮田山荘(1922年)をはじめ、数多くのヴォーリズ建築が残っており、避暑地・軽井沢は、建築主との出会いの場でもあったようです。
テニス愛好家だったヴォーリズは、軽井沢でテニスコートのクラブハウスの設計も行いました。このテニスコートが、現天皇陛下と美智子皇后の出会いの場となったことは有名な話です。

 

皇室

太平洋戦争開戦直前に「一柳米来留」(米国より来たりて留まる、の意)と改名して日本に帰化したヴォーリズでしたが、日本の官憲から敵国人扱いを受け、戦時中は軽井沢での隠匿生活を余儀なくされました。
華族出身の一柳満喜子夫人を通じて皇室とも交流があったヴォーリズは、終戦時、近江文麿からの要請で日本政府とGHQの仲介役を果たし、天皇の人間宣言の草案起案に関わった、とも言われています。