教育・医療におけるヴォーリズ

満喜子夫人や吉田悦蔵氏らとともにさまざまな教育活動に取り組み、社会教育の一環として図書館も設立するなど、教育分野でもヴォーリズは活躍しました。

ここでは、当時不治の病であった結核療養の先駆的存在となった「近江サナトリアム」設立にまつわるエピソードなど、医療分野でのヴォーリズを紹介しています。

 
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幼稚園でのヴォーリズ

 

教育

1907年、ヴォーリズは八幡基督教青年会館内に「八幡英語学校」を設立し、自ら校長を務めていました。また、満喜子夫人は、子どものための教育事業「プレイグラウンド」を1920年に開始、2年後に「清友園幼稚園」を設立。
「よく見る目、よく聞く耳、よく考える頭」を合言葉に、深い愛情をもって子どもたちの教育に尽力しました。さらに、ヴォーリズの盟友である吉田悦蔵は、1933年に「勤労女学校」(のちの「近江兄弟社女学校」)を設立。1940年には、社会教育事業として図書館も設立され、市民に広く利用されました。
これらの教育事業が、現在の「近江兄弟社学園」の礎となっています。

 

医療

一方、ヴォーリズは、隣人愛の理念に基づき、当時不治の病であった結核から人々を救うため、1918年に結核療養所「近江療養院」(のちに「近江サナトリアム」と改称)を開院。
ヴォーリズ自身が幼少から腸結核を患っていたことに加え、設計事務所の青年社員・遠藤観隆が肺結核で他界したことが、彼を療養院開設に駆り立てたといいます。
結核医療も清友園での教育も、当時の日本の不衛生な生活環境の変革を促していた点では共通しています。

 
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緑豊かな郊外に建てられた近江療養院