伝道者としてのヴォーリズ

ここでは近江八幡を拠点に、理想郷づくりをめざし、ガリラヤ丸で琵琶湖を渡って、「近江ミッション」と名づけた伝道活動に精力を尽くしたヴォーリズたちの様子や思想を紹介します。
ヴォーリズ建築第一号であるアンドリュース記念館(旧YMCA会館)では彼の書斎があり、家具や書棚が当時の姿のまま確認できます。通常は非公開ですが、春と秋に一般公開されています。

 
photo19

アンドリュース記念館(旧YMCA会館)

 
photo20

ガリラヤ丸による湖国伝道

 

召命

コロラド大学で建築を志していましたが、1902年にカナダのトロントで開催された学生伝道隊運動の世界大会でハワード・テイラー女史の講演に衝撃を受け、外国伝道に身を捧げようと志を転換。そして「今まで宣教師の行ったことのない所へ行って、独立自給で『神の国』の細胞を作ってみたい」と志願し、近江八幡の県立八幡商業高校に英語教師として派遣されたのです。

神の国

ヴォーリズは、八幡商業高校の教え子であった吉田悦蔵・村田幸一郎らとともに、建築家や実業家として活躍しながらも、伝道活動を続けていきました。召命を受け、神の導きによって近江八幡にやってきたと信じていたヴォーリズにとって、この地に平和と隣人愛にあふれた理想的な「神の国」を築くことこそが、生涯変わらぬ人生の目的でした。ヴォーリズらは、近江八幡を「世界の中心」と表現し、近江八幡を拠点として、「近江ミッション」と名づけられた伝道活動を滋賀県全土へと広げていきました。

伝道

伝道のユニークさは、琵琶湖の湖上をポンポンポンと音を立てながら快走した伝道船ガリラヤ丸に象徴されます。これは、メンソレータムのA・A・ハイド氏からの寄付で実現したものです。当時は、鉄道も道路も整備されておらず、ガリラヤ丸のような小型自動船舶は日本で非常に珍しい存在でした。そして、ガリラヤ丸を降りた地を中心に、自転車で伝道活動が展開されました。

 
photo21

生涯結束が固かった村田・ヴォーリズ・吉田の「3創立者」

 
photo22

神の国づくりを広く発信した月刊誌「湖畔の声」の創刊号