入館案内

ヴォーリズの人となりを発見しにハイド館に来られませんか?


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ハイド記念館は建築、教育、医療、事業を通してキリスト教伝道を行っていたヴォーリズに共感したハイド氏(メンソレータム社の創始者)の多額の寄付により建てられたものです。2003年3月まで幼稚園舎として使われており、現在は、ヴォーリズゆかりの品や絵画、パネルなどが展示されています。(国登録有形文化財)

放課後になるとヴォーリズ学園吹奏楽部の練習場所としても使用されています。

入館料

一般:200円/名(高校生以下無料)
団体:10名以上 100円/名

開館時間

月曜日〜金曜日:午前10時〜午後4時
土、日、祝日 :午後1時~4時

休館日

休館日は設けておりませんが、台風などの事情でやむなく臨時休館をすることがあります。

電 話

☎0748-26-6683(ヴォーリズ精神継承委員会)



ハイド記念館の由来

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1905(明治38)年2月2日。ウイリアム.メレル.ヴォーリズは寒い北風の吹く八幡駅に降り立ちました。彼は県立商業学校で英語を教え、放課後にはバイブルクラスも開きました。キリスト教の影響力を恐れた県民の反対運動により2年で解職されました。しかし彼は八幡に留まり、キリストの福音伝道を中心目的とする近江兄弟社を興しました。

解職されたヴォーリズは建築設計技師として自活の道を得たが、1913(大正2)年、米国コロラド州に家庭薬メンソレータムの発明者A.Aハイド氏を訪ね、その製造販売権を与えられました。建築とメンソレータムで得た利益の大部分を、近江基督教慈善教化財団(現、(財)近江兄弟社)に寄付し、宣教、医療、教育の事業を初めました。

ヴォーリズが一柳満喜子と結婚したのは1919(大正8)年です。満喜子夫人は1920(大正9)年に池田町五丁目にプレイグランドを開設し、1922(大正11)年8月23日、清友園幼稚園として認可されました。

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ライトアップされた教育会館とハイド記念館

1927(昭和2)年、満喜子は北米の幼児教育を視察した際にハイド夫人を訪ね、日本おける教育事業計画を語り合った。1930(昭和5)年、ハイド夫人より3万ドルもの寄付を受けました。翌年市井町に教育会館と幼稚園舎が建てられた。ハイド夫人の寄付により建てられた新園舎に、池田町から清友園幼稚園が引っ越して来ました。
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ハイド館外観(撮影:桃井一至氏)

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当時の幼稚園の様子

また、1933(昭和8)年には、吉田悦蔵を校長として労作教育を標榜する近江勤労女学校が設立され、その授業に教育開館も使用しました。
新園舎と教育会館はこれらの教育事業をはじめ、多くの文化活動の中心施設として今日まで活用されてきました。
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ハイド記念館内館(撮影:桃井一至氏)

近年ヴォーリズ建築の評価が高まり、2000(平成12)年、当幼稚園舎と教育会館が共に登録有形文化財に登録されました。その際、当園舎の名前を「ハイド記念館」とし、近江兄弟社の恩人であるハイド氏一家を銘記することとしました。2003(平成15)年、幼稚園を多賀町に移転し、当館にハイド氏一家及び一柳夫妻を顕彰するために展示室を設けました。
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小さな子どもへの優しさ溢れるハイド記念館の手すり
(撮影:桃井一至氏)



建築から見たハイド記念館の見どころ

「建物が人を育てる」と言われます。このハイド記念館を訪れる昔の卒園生や、先生方は、異口同音にこの建物が昔のままに存立していることに、感嘆の声を挙げられます。1931年(昭和6年)に建てられたこの園舎は、ヴォーリズ建築の中でも、とりわけ人にやさしい趣きを備えています。

幼稚園の平面計画は、各園児が園庭(運動場)より直接保育室に入るケースが一般的でありました。しかしこの園舎は家庭的でお客様として園児を玄関で迎えました。玄関の横には園長室、保母室があり、園庭、玄関、ホール、プレイルームと4面の開口窓により園児を見守りました。

建物の構造松材の梁は、長斧による手斧(ちょうな)仕上げ、神社や寺に見られる肥木(ひじき)のデザインを取り入れたり、腰壁の仕上げ材は木の生地板を立て張りとし、子供の体当たり衝撃を考慮しており、部屋の出入口の下の敷居に段差をつけないバリアフリーが早くも取り入れられています。 暖房はスチーム暖房が完備されていて、各部屋の窓下にはラジェーター(暖房器具)が設置されていました。お昼の頃になると朝からその上で温まったお弁当が当たり一面によい香りをただよわせました。この暖房器具は戦争で国に供出してしまいました。

男子用便所、女子用便所の手洗い流し台は、当時の子供達のモジュールをそのまま残し今も使用されております。便所のタイルはアメリカからの輸入品で、釉色の鮮やかに来客者が驚いています。特筆すべきは、当時既にコンクリート製の3層分離式の浄化槽が設置され、すべて水洗便所であったことです。

遊戯室や衛生室などの家具、調度品は全て造り付けで細部にまで設計の段階で徹底して打ち合わせが行われたことがしのばせます。

サンポーチの復元

この建物には今は無きサンポーチ(日光浴室)がありました。大きな半円形の建物で、縦長の両開き窓、欄間は突き出し窓で7か所あり、東・南・西側より太陽の光を充分に受けて、常時明るい多目的な部屋でした。屋上にも2階から園児が上がることが出来ました。部屋では園児が楽に持ち運びが出来る籐の椅子、机を並べてお食事をしたり、折紙、切り紙等自工作業をしました。雨の日は、1.5m×2.0mくらいの木箱の砂場で遊んだと当時の園児は語っています。サンポーチ(日光浴室)の床は人造石研ぎ出し仕上げと堅固な仕上げでした。

このサンポーチ(日光浴室)の復元を、ヴォーリズ学園理事会が計画していると聞き、一日千秋の思いで待っております。

教育会館の大架構(大屋根を支える骨組み)の構造の素晴らしさ、正面ステージ、背面の階段型ギャラリー、教室等のプランニングは、ヴォーリズ建築の特徴をあらわしています。竣工した当時は全国より幼稚園関係者、建築家達の見学者が絶えませんでした。建物の環境、平面配置、設備のどれもが当時の日本には珍しく理想の園舎として見学に来られました。

近江八幡市内を初め、全国に点在するヴォーリズ氏による建物の、人に優しい、心配りの、温かみのある設計の詳細はこのハイド記念館の中の随所に目で確かめることが出来ます。例えば、階段のふみ面の幅を広くし、蹴上げの段差を低くとって、子供から老人まで楽に上がり下りできること(住宅はほとんどが同じ)、階段の出隅の角の大きな丸面取り、ドアーの取手の位置を低くし、床と巾木の取合い、壁と天井の取り合いの主婦の目線で掃除がしやすく工夫され、物入れの中壁は湿気予防の為に鉄板張りがしてあります。

この建物が建てられてから構造的にも、意匠的にも大きな補修をすることなく、今も教育施設としてはもとより、各団体や集会に使用されて親しまれていますのは驚異としか、言いようがありません。


平面図

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外観

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サンポーチ(日光浴室)室内

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